第二話 花見に馳(は)せる夢
江戸に春が到来した。
春の知らせとは桜である。 桜が咲けば春の訪れを意識するようになるものだ。
ここ吉原は、高い壁がある。
出入り口にある大門(おおもん)は、唯一の出入り口であるが妓女や禿は外に出る事を許されない。
引退や、身請けが決まったら外に出られるようになる。
それまでは “籠の中の鳥 ” なのである。
そして外からの情報も少なく、春の訪れを知るのは仲の町(吉原のメイン通り)に咲いている桜の開花なのである。
「綺麗……」 梅乃は、同じ歳の小夜と桜を見に来ていた。
小夜も顔立ちが良く、髪は梅乃と同じ髪型であるがオットリしていて庇ってあげたくなる感じの女の子であった。
二人は親に捨てられ、吉原の大門の前に置かれていた者同士で仲が良かった。
「私、大きくなって稼げるようになったら……」 何かを言いたげな小夜は、話し途中で黙ってしまった。
「稼げるようになったら……?」 梅乃は続きを待っていた。
「うん……稼げるようになったら、両親に会いたい……って思ったの。 でも、顔も名前も知らないし……」 小夜は下を向いてしまった。
(確かにそうだ……稼いでも探偵らしき者を雇っても、名前も顔も知らないのであれば……この名前さえも本当に親が付けたものか分かったものじゃない)
梅乃は冷静に解釈をしていた。
「戻ろう……また、お婆(ばば)がウルサイからさ」 梅乃は小夜の手を引っ張り、妓楼に戻っていった。
すると、妓楼の大部屋から怒鳴り声が聞こえる。
「アンタが盗んだのね」 などと言い、妓女同士で喧嘩をしていた。
(またか……) 梅乃は子供ながらに、何度もいざこざを見てきた。
いつもは口喧嘩で済むが、今回は殴り合いにまで発展してしまった。
『ガシャン……』 と、音がした。
どうやら、妓女の一人が皿を投げつけたようだ。
(これはガチのやつだ……)
そして横を見ると小夜が震えていた。
「小夜、見ない」 梅乃は小夜の前に立ち、喧嘩を見えないようにしていた。
それから妓女の喧嘩はヒートアップしていく。
そして梅乃は我慢が出来ずに妓女に声を掛けた。
「すみません、姐さん……何を喧嘩されているんですか?」
すると、「コイツ……私の簪(かんざし)を盗んだのよ!」 一人の妓女が言うと、
「私が盗む理由(わけ)が無いじゃないか!」 相手の妓女が言う。
「ふう……」 梅乃は息を吐き、子供ながらに解決を考えた。
一般の妓女は、花魁などの有名人とは違う。
花魁は個室を与えてもらい、禿が付いている。
一般の妓女は二十畳くらいの部屋に十人で生活をしているのだ。
物が無くなったと言う話しは嘘ではないだろうが、ストレスの多い世界だし、勘違いから起きる喧嘩も珍しくもない。
「すみません……姐さんたちは、昼見世の時間ですよね? 部屋を掃除しながら探しますので、お静まりくださいませ」
梅乃は頭を下げ、全員が冷静になった。
(この娘……) 采は、堂々たる梅乃の態度に驚いていた。
(本来なら小夜のように、オドオドしている年齢なのに……)
「お婆(ばば)、梅乃の才能に気づいた?」 玉芳は采に話しかけた。
「お前、知ってたのかい?」
「一年、一緒ですから……」 そう言って、玉芳は部屋に戻っていった。
それから梅乃と小夜は、妓女の大部屋の掃除を始めた。
(しかし、汚くしてるな……) 梅乃が各妓女のスペースを掃除していると、畳んである着物の隙間から簪が出てきた。
梅乃は昼見世の部屋に向かった。
昼見世の部屋は、通りから見えるようになっていて格子の窓になっている。
これを “張り部屋 ”という。
そして、気に入った妓女が居たら店に予約を入れるようになっている。
梅乃が張り部屋の外から小さく声を出す。
「姐さん、簪がありました」
「そう……」 返ってきた返事はそれだけだ。
そして、梅乃は采に簪を手渡した。
「なんだい? 直接渡せばいいじゃないか?」
「いえ、結果が解るので……」 梅乃は冷静に答えた。
(どうせ、私が盗んだと言われるんだろうし……)
すると、簪を取られたと叫んでいた妓女が梅乃の元にやって来た。
「お前が盗んでいたのかい? とんでもない禿だね!」 と、叫んで
“パンッ ” と、音がした。
簪を取られたと言っていた妓女は、梅乃の頬を叩いた。
「この泥棒娘!」
言いたい事を言って戻る妓女に、梅乃は何も言えなかった。
梅乃は捨て子である。 そう言われても仕方ないと思っていたからだ。
梅乃は妓楼から外に出て、仲の町にある桜を見ていた。
「梅乃……」 追いかけるように、小夜も仲の町の桜まで来た。
「小夜……」 梅乃と小夜は泣いた。
まだ子供であり、何も出来ない 意見も言える立場にない二人は
「絶対、花魁になろう!」
手を握り、桜の木の下で誓い合うのだった。
「お腹すいたろ? 茶屋にでも行こう」
二人に声を掛けてきたのは玉芳であった。
「花魁……どうして?」 二人は驚いたように声を出した。
“ポカッ ポカッ…… ” 玉芳は二人の頭を叩いた。
「いったー」 梅乃と小夜は、頭をさすっていた。
「私は化粧してないんだ! 外で声を出したらバレるだろーが!」
玉芳はスッピンで外に出た為、客にバレないようにしていた。
「ほら、いくよ」 玉芳は二人を茶屋に連れていき、団子を食べさせていた。
妓楼に戻り、玉芳は風呂に入っている。
その頃、梅乃と小夜は妓女の夜見世の準備をしていた。
「だから、そうじゃない」 妓女は、簪の一件から梅乃に冷たくなっていった。
そして、何日かが過ぎた頃には
「お前は何も出来ないんだな……」 と、言われ
蹴られたりするようになっていった。
「いてて……」 そう言いながら、梅乃は耐えていた。
妓楼の隅で着物の裾をまくってみると、梅乃の足は紫色に腫れていた。
そして、誰かが来る気配がすると裾を元に戻して笑顔を見せていた。
小夜は知っていたが、気弱な小夜はオドオドするだけであった。
そして今日も……
「お前は本当に気が利かないね!」 妓楼は、また梅乃を蹴っていた。
小夜は、梅乃を見て涙を浮かべると
梅乃は、小夜を見て首を横に振った。
そして、手をニギニギし始めたのだ。
これは小夜と梅乃が交わした約束である。
二人で桜の木の下で、手を握り合い
“絶対、花魁になろう ” と言った約束である。
小夜は小さく頷き、手をニギニギして返す。
(梅乃……) 影から見ていた玉芳は部屋に戻っていった。
それから数日後、梅乃は変わらず嫌がらせを受けていた。
それでも梅乃は手をニギニギして我慢をしていた。
「花魁……」 玉芳の部屋に小夜が来ていた。
小夜は、梅乃への嫌がらせを止めて欲しいと相談に来ていた。
「小夜……それは梅乃が言ったのかい?」
「いえ……」
「それで、何もしないお前が、私に何の用だい?」 玉芳の言葉は小夜の胸に刺さった。
(私、何もしないで泣いてばかりだった……本当なら、泣きたいのは梅乃だった……) 小夜が気づくと
「花魁……ありがとうございました」 小夜は走って一階の大部屋に向かった。
(本当に、いい娘(こ)たち……) 玉芳は、客に手紙を書いていた。 今でいう営業メールみたいなものである。
そして、小夜は大部屋に行き、妓女と対峙した。
小夜は涙を流し、梅乃への嫌がらせを抗議する。
すると 「お前、禿が何を言ってるんだ? 客も取れず、私たちの売上で飯が食えているんだろ?」 妓女の言葉は尤もであったが、
(でも、負けられない……) 小夜は怯えながらも、妓女を睨んだ。
「おい、何だ その目は」 妓女が小夜に近づいた時
「待ちな!」 そこに出てきたのが玉芳である。
「私の禿に嫌がらせをしているのは、お前か?」
「いや、勉強をさせようと……」
玉芳の圧に、誤魔化そうとしている妓女に
「なら、これが勉強になるのかい? それなら、お前が花魁になる為に勉強させてやろうか? 同じようにして……」
玉芳が睨むと、妓女は下を向いていた。
空気が悪くなると売上も悪くなることを知っている玉芳は、笑顔で妓女たちに接した。
(お前には参るよ……) 采はキセルを咥えながら玉芳に感謝した。
小夜は玉芳に頭を下げ、外に駆けだした。
「ここに居た~」 小夜は梅乃を探しに、仲の町の桜の木まで来ていた。
「小夜……」
「あのね、私も梅乃みたく頑張ったんだ! あとで花魁に助けられたけどね……」 小夜は涙をこぼし、手をニギニギしていた。
「小夜……」 梅乃もニギニギして笑顔で讃えあった。
それから梅乃と小夜は妓楼に戻ると、妓楼は静かな空気になっていた。
誰も梅乃と小夜に文句を言う者がいなかったのだ。
「花魁……」 梅乃と小夜は、玉芳の部屋で頭を下げていた。
「私は何もしていないよ……頑張っている お前たちの後押しをしただけ」
玉芳は窓から外に向けてキセルを吹かしていた。
「花魁、失礼しんす……」 ここで勝来が部屋に入って来た。
勝来は物静かで品がある。 元々は武家の娘だけあって、凛とした感じの女性であった。
「これは、本日の着物と帯でございます。 本日のお客様より、この召し物でお願いしたいと申されております」
勝来は、大きな盆に乗せた着物と帯を畳の上に置いた。
「こりゃ高そうな着物だねぇ」 玉芳は驚いていた。
「加賀より取り寄せたとか……」
着物の産地で有名な『加賀友禅』である。
「そうかい! 今日は派手にいこうじゃないか!」
そして 「花魁、通ります!」 梅乃の大きな声が吉原の仲の町に響き渡る。
先頭に禿の梅乃と小夜、傘は男性の職員が持つ。
その両脇に、菖蒲と勝来が歩く。
これが “花魁(おいらん) 道中(どうちゅう) ” と、呼ばれるものである。
大見世の三原屋 『三原屋の玉芳』 の登場である。
大きな傘の下、外八文字で歩く姿は菩薩(ぼさつ)そのものであった。
見世の表通りから仲の町を通る。 (仲の町は吉原のメイン通り)
そこから指名のあった、引手茶屋まで練り歩く。
「みんな、これが花魁だよ! 菖蒲、勝来、梅乃と小夜、よく見ておきなさい」
梅乃と小夜は、一層と大きな声で
「花魁、通ります。 三原屋の玉芳花魁が通ります」 と、叫んだのであった。
第四話 継がれし想い 「ほら、いつまで寝ているんだい!」 朝の五時、梅乃は大声で起こされた。 「ふえ……?」 寝ぼけ眼で梅乃が目を覚ますと、妓女の大部屋が騒がしい。 “キョロキョロ……” 大部屋を見ると、全員が起きていた。 「起きた?」 小夜が梅乃の横に、チョコンと座る。 「なんで、こんなに早いの?」 「知らないの?」 小夜が驚いたように言った。 「江戸町二丁目の近藤屋が店を閉めるんだって!」 小夜は焦ったかのように話す。ここ吉原には五つの町が存在する。そこは大門(おおもん)から、突き当りの水道(すいど)尻(じり)までの約二百三十メートル真っすぐな道を仲(なか)の町(ちょう)という大通りがある。その仲の町の両脇には、引手茶屋が多数あるそして、東西に分けられた町がある。東側には、伏見町、江戸町二丁目、角(すみ)町、京町二丁目西側には、江戸町一丁目、揚屋(あげや)町、京町一丁目 がある。その中でも、江戸町は大見世が軒(のき)を連ねていた。「へー 近藤屋がね……」 梅乃には、まだピンと来ていなかった。同じ江戸町で、大見世だった近藤屋が閉めてしまうことの重大さに気づくのは、まだ先のことであった。その噂は三原屋でも独占していた。普段なら色恋や、たまに来る舞台役者の話しでもちきりなのだが、今回は近藤屋の話しでいっぱいだった。それは、近藤屋が閉鎖することにより三原屋も妓女を引き取るからだ。ある程度、大見世である三原屋だが定員はある。良い妓女が来れば、売上の悪い妓女は去らねばならない。それは、他の中見世や小見世に行かなければならないということであり、年季が明けるまでは避けたい事態である。このピリつい空気に、梅乃と小夜も察してきた。「お前たち、禿は良いよな……時代が被らなくて……」 妓女の一人が言う。 しかし、いつの時代にも大変な時期はある。梅乃たちでさえ保証はないだろう。そんな中、やはり近藤屋の妓女が三原屋にやってきた。「よろしゅう、お頼み申しんす……」近藤屋からは、四人の妓女を引きとった。 「おや? 貴女は此処の禿だったの?」 近藤屋から来た、一人の妓女が梅乃に話しかける。 この妓女は、花緒と言う。 「はい。 ご存知だったのですか?」 梅乃は驚いたように話す。 「えぇ、いつも桜の木の下で泣いていたで
第三話 豪華(ごうか)絢爛(けんらん)あれから二年。 梅乃は十歳になった。「花魁、失礼しんす……」 玉芳の部屋に勝来がやってきた。最初の禿だった菖蒲は十五歳になり、下級の妓女となっていた。それにより、禿の最年長は勝来である。「本日の予約は……」 勝来が予定を読み上げると「へー 初見(しょけん)さんか……」 玉芳は驚いていた。玉芳が驚くのも無理もない。少し前だが、戊辰戦争が起こり 上野周辺は瓦礫(がれき)や死体の山であった。ここ吉原も、彰義隊の避難所として利用している為、戦争に巻き込まれたくない客は遠のいていった。「少し、客さんは戻ってきたのかしら……?」玉芳はキセルを吹かしながら空を見ていた。吉原は幕府公認の妓楼街であったが、大政奉還により幕府が権力を失う。大名は吉原から足が遠のき、金が安く済む夜鷹を使っていた。また吉原に来ても大見世である三原屋を使わず、吉原の壁側にある河岸(かし)見(み)世(せ)を使う客も増えていった。吉原の妓楼は四つのランクに分けられていた。三原屋のような格式が高い見世は、大見世。格式が低く、引手茶屋を通さずに遊べるのが小見(こみ)世(せ)。 その中間にあるのが中(なか)見(み)世(せ)である。そして、吉原を囲むように川の水が溜まったのが『お歯黒ドブ』と呼ばれ、そのドブの近くにある見世が、河岸(かし)見(み)世(せ)と呼ばれていた。河岸見世は安く、格式など無い。年季が明けて、行くところが無くなった妓女が多く在籍する。また、三十路過ぎの女性が多いところでもある。そして戦争により、一気に客足は遠のき三原屋も経営が苦しかった。「久しぶりに、景気よくいこう」 玉芳は嬉しそうであった。この落ち込んだ景気を回復しようと、強く思っていたのだ。玉芳は一階にいる “鑓手(やりて)婆(ばば) ” の所に出向いた。鑓手婆とは、妓楼の一階に座り、妓女の管理や会計などを行う人である。三原屋で言えば『采』である。「お婆(ばば)、今日の客さんは どんな方?」 玉芳は采に聞くと「確か……金貸しの旦那とか言ったね。 アチコチの妓楼に顔を出すヤツさ…… そこいらで品定めでもしているんじゃないかい?」「お婆、今日は車を出してくれない?」 玉芳は、珍しく采に頼み事をした。「そりゃ構わないけど、ケチられたらどうするん
第二話 花見に馳(は)せる夢江戸に春が到来した。春の知らせとは桜である。 桜が咲けば春の訪れを意識するようになるものだ。ここ吉原は、高い壁がある。出入り口にある大門(おおもん)は、唯一の出入り口であるが妓女や禿は外に出る事を許されない。引退や、身請けが決まったら外に出られるようになる。それまでは “籠の中の鳥 ” なのである。 そして外からの情報も少なく、春の訪れを知るのは仲の町(吉原のメイン通り)に咲いている桜の開花なのである。「綺麗……」 梅乃は、同じ歳の小夜と桜を見に来ていた。 小夜も顔立ちが良く、髪は梅乃と同じ髪型であるがオットリしていて庇ってあげたくなる感じの女の子であった。二人は親に捨てられ、吉原の大門の前に置かれていた者同士で仲が良かった。「私、大きくなって稼げるようになったら……」 何かを言いたげな小夜は、話し途中で黙ってしまった。 「稼げるようになったら……?」 梅乃は続きを待っていた。 「うん……稼げるようになったら、両親に会いたい……って思ったの。 でも、顔も名前も知らないし……」 小夜は下を向いてしまった。(確かにそうだ……稼いでも探偵らしき者を雇っても、名前も顔も知らないのであれば……この名前さえも本当に親が付けたものか分かったものじゃない)梅乃は冷静に解釈をしていた。「戻ろう……また、お婆(ばば)がウルサイからさ」 梅乃は小夜の手を引っ張り、妓楼に戻っていった。すると、妓楼の大部屋から怒鳴り声が聞こえる。「アンタが盗んだのね」 などと言い、妓女同士で喧嘩をしていた。(またか……) 梅乃は子供ながらに、何度もいざこざを見てきた。いつもは口喧嘩で済むが、今回は殴り合いにまで発展してしまった。『ガシャン……』 と、音がした。どうやら、妓女の一人が皿を投げつけたようだ。(これはガチのやつだ……)そして横を見ると小夜が震えていた。「小夜、見ない」 梅乃は小夜の前に立ち、喧嘩を見えないようにしていた。それから妓女の喧嘩はヒートアップしていく。そして梅乃は我慢が出来ずに妓女に声を掛けた。「すみません、姐さん……何を喧嘩されているんですか?」すると、「コイツ……私の簪(かんざし)を盗んだのよ!」 一人の妓女が言うと、「私が盗む理由(わけ)が無いじゃないか!」 相手の妓女が言う。「ふう…
第一話 梅乃一八八一年 吉原 仲(なか)の町(ちょう) 「花魁(おいらん)、通ります」 三原屋の禿(かむろ)が大きな声を出す。派手な着物に、高下駄(たかげた)を履く。 そして大きな傘の下、繰り出す足は外に半円を描くように引きずる。花魁の外(そと)八文字(はちもんじ)という歩き方である。 顔は白く塗り、大きな瞳に淡い桃色のシャドウ。 薄い口元に、小さい紅が美しさを引き立てている。 こうして店の外にある引手(ひきて)茶屋(ちゃや)まで客を迎えに行くのだ。 引手茶屋とは、規模の大きい妓楼(ぎろう)に対し、遊女の予約をする茶屋の事である。 客は引手茶屋で指名をし、ここで指名した遊女が迎えに来てから妓楼に行くシステムとなっているのだ。 この花魁こそが主人公である “三原屋(みはらや)の梅乃(うめの) ” 吉原の梅乃花魁である。梅乃が花魁を襲名し、吉原の街を練り歩く姿は遊郭をアピールする絶好の機会であった。 梅乃は二十歳にして、老舗妓楼(しにせぎろう)『三原屋』の頂点になる。 そんな伝説、梅乃花魁の物語である。一八六九年 吉原の春。妓楼がひしめく吉原に、多くの遊女が在籍する店がある。ここ、三原屋である。三原屋は吉原、江戸町一丁目にある大見(おおみ)世(せ)である。そんな三原屋は、早朝から一日が始まる。「こら、梅乃(うめの)! しっかりなさい」「すみません……姐さん」 そう言って、頭を叩かれていたのは梅乃である。梅乃は八歳。 まだ子供である。梅乃は三原屋に来て一年、つまり七歳の時から妓楼で働いている。子供の頃から妓楼で働く子供は少なくない。家が貧困で売りに出される者……身寄りが無く、拾われた者などだ。「姐さん、良い天気です。 ほら!」 梅乃は窓を開け、青空を見せた。 「あぁ……いい天気でありんすなぁ」 梅乃は、教育として花魁の傍(そば)で作法を学ぶ。その教育係が、 “三原屋の花魁、玉(たま)芳(よし)である ” 玉芳は、老舗妓楼の花魁を八年間 勤め上げている。そして、梅乃は玉芳の付き人のようなことをする。これを禿(かむろ)と言う。 つまり見習いだ。「梅乃もここに来て一年だろ? まだ慣れないのかい?」玉芳はキセルを吸いながら梅乃に小言を言う。「すみません……」 そう言って、バタバタと走り回り仕事